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Comomo 情報誌デザイン

あの日から1年。自分に出来ること

ようやくなのか、あっという間なのかは分からないが、とにかく震災が起きた「あの日」から1年が経過した。あの当時、何人かのデザイナーが、被災地の応援を目的にバナー等の作成や募集をしていたが、僕はそれには一切耳を貸さなかった。理由は至極単純で、それで復興が加速するとは思えなかったからだ。右も左も分からなくなってしまった人たちに『頑張れ』『我々は一つ』と言ったところで、ひやかしにしか聞こえない。少なくとも僕はそう感じていたし、その考えは今も変わらない。必要なのは、衣食住と医療、そしてお金なはずだ。僕に出来たことは、本当に微々たる募金と被災者の家族を一時的に受け入れる震災ホームステイに登録することでした。いくつかマッチングサイトが立ち上がる中、3つのサイトに登録したが申し込みはなかった。マッチングサイトへの登録に対して、ひやかしの気持ちは全くなかったが、被災地から愛知県の尾張旭市に一時的な移住というのは、今考えれば現実的ではなかったようにも思う。一方で今後も個人的に出来る事があれば家族と相談して取り組んでいきたいと考えています。じゃぁデザイナーとしてはどうかと考えると、まだまだデザイナーがその職能を発揮する時期ではないように思います。復興という大きな課題に対してこそ、いわゆるディレクションが必要だとは思うけど、その役割を担うのがデザイナーなのか?と問われると、残念ながらそうではないように思います。また誰も彼もが復興に関わるのも難しく、デザイナーで言えば、経済発展の分野だったり文化活動の分野だったりと、そもそもデザインの力を発揮していた分野で引き続き活動するデザイナーが必ず必要なはずだと思うんです。僕がどこに関わっていくべきなのかは自分では分からないが、僕のデザインが何らかの形で復興に使えるのであれば、自然と「その時」は来ると思う。それぐらい冷静に「待ち」の姿勢でもいいんじゃないかと思う。一個人であれば出来ることはどんどんやってみるべきだとは思うが、これがデザイナーとしてとなると一歩引いてみる事が必要じゃないだろうか。確かに震災で多くの方が命を落とし、まだ苦しんでいる人もたくさんいる。だけど震災で亡くなった人以上に自殺者が多い今の日本には、震災後の復興以外にも課題が山積みだからだ。だから「その時」が来た時に、必要なデザインを提供できるよう、一つひとつの仕事に取り組んでいきながら、デザイナーとしてのスキルを少しでもあげていく。それがデザイナーとして、今の自分に出来る唯一のことなんじゃないかと思う。